こんばんは。

 

色んな景色を見ながら色んな事を考えたり色んな音楽を聴きながら色んな所を歩いたり

 

そんな色んな情報の中には

どうでも良い情報や

気になる情報など

常に自分を通り過ぎて行きます。

いや、自分が通り過ぎて行くのかどうか

わかりませんが。

 

 

そんな中に、ふと気になるような何かがあった時

 

すぐに手を伸ばして掴めるものもあれば

一瞬で過ぎ去って行って、その後一生巡り合う事のないものもあります。

尊いですね。

 

どうでも良いなぁと

反射的に受け流しているものには

意識が行く事が無いので

そもそも気付く事も無いかもしれません

 

例えばすれ違う人々の顔とか

道端に生えてる草の種類とか。

 

それがもの凄く美人だったり

珍しい花が生えてたりすると

思わず見惚れてしまいますよね。

 

 

落ちてる石ころを

あえて良く見てみると

 

あぁ

よく見れば案外綺麗な石だなぁとか

かわいい形してるなぁとか

 

良くみると凄い魅力を感じたりするものもあったりしますね。

 

 

でも意識がいかない限り

そんな石ころなんて

過ぎ去ってしまえば今後出会う事なく

どっかにいってしまう訳です。

 

でも

そんな事が毎日毎日身の回りで起こっている訳です。

 

だから何だという訳では無いですが

そういう事です。

 

例えば日本のどこかには

自分とほぼ同じ性格で

似たような生活をして

同じような考えを持っている人がいると思う。

 

でもそれは街中ですれ違う誰かは話してみないとわからないし

もしかしたらSNSで喋った事のある誰かがそうだったかもしれない。

 

たしかに

そんな事にいちいち考えて行動してると疲れると思うし

実際に自分にとって結局何でも無いような事だったりすると思う。

 

暴れ狂ってるような時間の流れにまたがりながら

みんなの目の前を通り過ぎていく大量の色んな物事の中に

 

もしかしたら

自分の人生にとって凄く大事な鍵が

紛れ込んでいるかもしれない。

 

ここでこうしてたら

実はあなたはとてつもなく幸せになっていました!

 

とか

死ぬ直前に誰かにネタバラシされちゃうかもしれない。

 

でもほとんどの人は

そんな事気付く訳あるかぁ!!

っていうような事を思う事でしょう

 

見ようとしていないだけで

見えない訳ではないという事が

 

どれだけ大切なのかという事。

 

見ようとしてないから見えないだけで

見えてるはずのものを見ようとしないから認識すらされない。

 

でも結局そんなアンテナを常時張り巡らせて生きていく事なんて無理だと思います。

それはもちろんその通りだと思います。

 

僕なんか

街を歩く時にはイヤホンをつけて歩くので

街中での音の情報はシャットアウトしています。

 

すれ違う人の顔も

通り過ぎるお店の名前も

いちいち見ません。

 

何かに出会うタイミングが

どこかであったとしても

気づきもしないまま

 

それには

出会わなかったという事になって

 

今を生きております。

 

そんなもんです。